「結構です!ウチは間に合ってますから!」
「あ・・・奥さん、お話だけでも・・・あの・・・あ・・・」
これで何件続けて玄関先で・・・いや、玄関に上がる事すら出来ないままで追い返されただろう・・・。
安川 健太(やすかわ けんた)は溜息をつきながらそう思った。
健太は、健康ブームに乗って躍進した「身体に良い水」をサーバーごと売り出すウォーターアクセスと言う会社の営業マンだ。
もともと、飛び込みの営業マンなんて仕事は自分には向いていないと思った。
だが、折からの不況で健太のような三流大学出には、ゆっくりと仕事を選べるような時代ではない。
彼は「自分には向かない」と思うその仕事を続けるしか生きて行く術がなかったのだ。
(だいたい、インターホンってのが悪いんだよ・・・)
健太は自分の営業成績が悪いのをインターホンのせいにしていた。
実際彼は、玄関先に上がり込む事も出来ずにインターホン越しに追い返される事が殆どだったのだ。
だが、条件は他の営業マン達だって同じだ。
その言い訳が的を射ていない事は健太自身も本当は良く解っていた。
だが、これだけ繰り返し繰り返しインターホンだけで追い返されると健太でなくとも腐りたくなる・・・。
彼は半ば腐り気味に、今断られたばかりのお宅の隣の家のインターホンを押した。
「とにかく数を廻れ!」
これが健太の上司の口癖だったから、契約が取れなくても数だけは廻らなければ・・・そう思って気を取り直して隣家のインターホンを押したのだ。
――ピンポーン、ピンポーン・・・
一度押しただけなのに、勝手に2回音が鳴る、最近のインターホンの音すら恨めしい・・・。
そんな事を思いながら、しかし、インターホン越しに映るであろう自分の姿を考えて、一生懸命に笑顔を作って憎いインターホンへ向き直る。
――ドタドタッ・・・ガチャっ
「は~い!・・・」
しかし、インターホンからは声は聞こえずに、いきなりガチャリと鍵の開く音が聞こえてドアが開いた。
インターホンに向かって笑顔を作っていた健太は、一瞬驚いて、つくり笑顔が消えてしまった。
「あ、あのウォーターアクセスの安川と申し・・・」
健太は、営業トークの挨拶の段階で言葉を止めた。
玄関のドアを開けてくれた女性が、信じがたい格好で玄関に立っていたからだった。
「あの~・・・何か御用ですか?・・・」
その女性は健太にそう訊ねてきた。
「あ、いや・・・その・・・今日は健康でおいしい水のご紹介でこの辺りを廻らせて頂いておりまして・・・3分だけお時間を頂戴できないでしょうか?」
健太はその女性にそう言ったが、内心は心ここにあらずと言う感じだ。
無理もない。
玄関を開けて顔を覗かせたその女性は、丈の長いロングTシャツ・・・それに一見してブラジャーをしていないと解る胸の膨らみ・・・Tシャツの裾から覗く白い大腿・・・おまけに、健太好みの可愛らしい顔・・・。
もともと営業トークの得意でない健太が気もそぞろで仕事にならないのは仕方がない事だったのだ。
「あ、あの歯医者とかに置いてあるやつでしょ?」
だが、その女性はそんな事など構いもせずに健太の話に乗ってきた。
「そ、そうです・・・あの、ここに資料があってわが社のサーバーが全国の歯科や病院にも置かれていて・・・それで・・その・・・」
「私、結婚して最近ここに引っ越してきたばかりなんだけど、仕事辞めたら少し太っちゃって・・・その水って痩せるかしら・・・」
「勿論です。ジュースや牛乳を飲むのを止めて、その代りにわが社の水を口にして頂けるだけで効果があります・・・ただ・・・」
「ただ・・・?・・・」
健太は、新婚だと言うその女性の薄着に包まれた身体を頭の天辺から足の先まで遠慮なく眺めながら続けて言った。
「ただ・・・その、奥さまは元々そんなに太ってらっしゃらないので、すぐに目に見えて効果があるかと言われると・・・」
「あ・・・きゃあっ!」
健太はその女性がいきなり悲鳴を上げた事に驚いてビクッとなる。
「わ、私・・・その・・・暑いからさっきシャワーを浴びたばかりで・・・それでこんな格好で・・・」
今まで平然と健太に応対していたその女性は、突然しどろもどろになって顔を赤くした。
信じられない事に、彼女自身、男を挑発するような薄着で玄関へ飛び出してきた事を忘れていたようだった。
「と、とにかく中へ・・・玄関に入って戸を閉めてくださいっ!ご近所の人に見られるじゃないですかっ!」
悲鳴を上げたいのは健太のほうだ。
自分で勝手に薄着のまま玄関を開けておいて、近所に見られるからドアを閉めろと健太を急かせるのだから・・・。
しかし、健太はこの混乱に乗じて、ようやく今日1軒目のお宅に上がり込む事に成功したのだった。
※※※
「ごめんなさい・・・驚いたでしょ?」
「あ、いえ・・・そんな・・・」
新婚だと言う人妻は、今度はきちんとジーンズを履いて、下着も身につけた後で今のソファに居心地悪そうに小さくまとまって座る健太にそう言った。
「ほんとに、ついさっきまで暑くてシャワーしてたもんだから・・・つい・・・」
「暑くてって・・・そんな暑いですか?今日・・・」
健太は仕事の話をそっちのけでその人妻に訊ねた。
「そうじゃないんですよ。言ったでしょ?最近太っちゃって・・・それで、DVDを見ながら1人でエクササイズしてたんです。そしたら汗かいちゃって・・・」
その人妻は人懐っこい笑みを浮かべてそう言った。
「で、お水の話なんですけど・・・月々のお支払はおいくらくらいなんでしょう?」
運の良い事に、この女性は水の購入を真剣に検討してくれるようだ。
健太はサーバーレンタル量と水の値段・・・自慢のメール1本による水の宅配システムや、他社と比較していかに自社が優れているかをマニュアル通りに説明して聞かせた。
「ふ~ん・・・解りました・・・このパンフレットいただけます?主人が帰ってきたら相談してみますので・・・」
「あ、あの・・・良かったら、今ちょうどキャンペーン中でサーバーと水1ケースを無料でお試しいただけるんです。外の車に一式積んでいますので置かせていただけませんか?」
キャンペーン中と言うのは嘘だ。
「主人に相談する」と言ったまま、何の連絡ももらえないと言うのは良くある話で、それではせっかくの顧客を逃してしまう。
このキャンペーンは、実は通年行っている。
こうしてサーバーと水を置かせてもらえれば、水1ケース分の値段を犠牲にする変わりに、少なくとももう1度、サーバーを回収する名目でこのお宅に上がり込む事ができる。
断られそうになったら、その「もう1度」のチャンスで何とか考え直してもらう・・・それが健太の会社の手だった。
「無料なんですか?」
「はい。勿論、お試しいただいてお気に召さなければ契約して頂かなくても構いません。その場合でもサーバーさえ返して頂ければ、お代はかかりませんので・・・」
「それなら良いですね・・・実際に主人にも飲んでもらえるし」
健太は大急ぎで外に停めた車から水とサーバー一式を持ってくると、取って返してこのお宅の台所へセットした。
「試に、今試飲してみて頂けませんか?当社の水は健康に良いのは勿論、味にも自信がありますので、きっとお気に召して頂けると思うのですが」
健太はマニュアル通りに話を進める。
ただ置いて帰るだけでなく「この水は美味しい」と印象付ける為だ。
そうすれば帰宅した夫に、この人妻は「美味しい水だ」と言って差し出すだろう。
人間、不思議なもので先に「美味しい水だ」と言われて渡されると、それがそうでもない物でも「美味しい水」だと感じるものだ。
それに実際、健太もこの水を飲む機会は多いが、少なくとも水道の水よりは絶対に美味しいし、あながちウソでもないから、心を痛める事なく営業トークが出来た。
「そうですか?・・・じゃあ、コーヒーを落として試してみても良いですか?」
「どうぞ。当社の水はコーヒーにしても勿論おいしいですから。それに横の・・・このボタンを押して15分ほどするとコチラ側から90度のお湯が出ます」
「あら、ポット替わりにもなるんですね・・・便利。でも、ウチはコーヒーはきちんとメーカーで落として淹れるんです。主人がうるさくって」
「そうでしたか・・・では、いつものように試してみてください」
――コポコポっ
健太は今日会ったばかりの人妻と2人きりで居間のソファに座っていた。
コーヒーが落ちるのを待って、彼女がそれを飲んだ時にすかさず「どうです!違うでしょう?美味しいでしょう?」そう刷り込むと言う最後の仕事が残っていたからだ。
だが、そう親しくもない人と2人でコーヒーが落ちるのを待つと言うのは長い・・・ここは気の利く話でもして好印象を与えておきたいが、あいにく健太はそんなに口上手ではないのだ。
「お名前は?・・・安・・・」
「安川と言います。もしご契約いただけたら僕が担当になりますのでよろしくお願いいたします」
「安川さんは、この辺のご出身ですか?」
どうやら無言に耐えきれなくなったのは、この人妻も同じだったようで、彼女のほうからそんな当たり障りのない話をしてきた。
「あ、いえ・・・僕はこの辺ではなくて、ずっと田舎の出身なんです。大学に通う為にこちらに出てきたのですが」
「そうなんですか・・・。私もそうなんです・・・ずっと田舎暮らしが長かったので、この辺は少しは自然があるとは言ってもなかなか馴染めなくて・・・」
健太はこの人妻が、いきなりドアを開けたのも少し頷けるような気がした。
都会暮らしの長い女性なら、あんな危険な事はしないだろう。
しかもシャワー後の、あんな姿で・・・。
だが田舎へ行けば、そんな気遣いは無用だ。
なにしろ、ご近所一帯・・・下手をすると町中殆どが顔見知りなのだから。
「僕も昨年大学を出たばかりで・・・まだこの辺にも慣れてないんですよ・・・」
「うふふ・・・」
突然、目の前の人妻が可愛らしく笑った。
「どうかしましたか?」
健太はその意味が解らずにそう訊ねた。
「この辺に慣れてないのは解りますよ」
彼女はそう言う。
「何故です?」
「だって安川さん・・・少し訛ってますもの・・・」
健太は「営業」と言う職に就くにあたって、田舎の訛が出ないように気を付けているつもりだった。
しかし、自分も田舎育ちだと言うこの人妻は、そんな健太の努力に気が付いていたようで、彼が元々訛っている事を見抜いていた。
「そうですか・・・気を付けているつもりなんですが・・・お恥ずかしい・・・」
健太は頭をポリポリと掻きながらそう言った。
「恥ずかしがる事なんかないわ。私、お話しててすごく安心しますもの・・・」
「そう言っていただけると・・・」
「本当は私も少し訛が抜けなくて困ってるんです・・・うふふ・・・」
彼女は再びそう言って可愛らしい笑顔を見せた。
(可愛いなぁ・・・)
ちょうど健太がそう思っている時、コーヒーメーカーが派手な音をたてた。
どうやらコーヒーを淹れ終わったようだ。
「安川さんもどうぞ・・・」
彼女がコーヒーカップを健太の前に置いて、その後で自分の分も向かい合って置いた。
健太は、彼女が最初の一口を飲むのを固唾を飲んで待った。
(頼む・・・おいしいと言ってくれ・・・頼む・・・)
「うふふ・・・」
彼女が可愛らしく笑った。
「ど、どうですっ・・・お、おいしいでしょう?」
「大丈夫ですよ・・・」
「え?」
「そんなに心配そうな顔で見なくても・・・夫には私から上手く言いますから」
「あ、はい・・・」
「うふふ・・・こんな事言ってはアレですけど・・・安川さん、営業向きじゃないですね」
「はぁ・・・すいません」
「顔に買ってくれっ!契約してくれっ!って書いてありますよ」
「あ、それは・・・その・・・」
健太は狼狽した。
買ってほしいし契約してほしいのは本当の事だし、それが顔に出ていた事が恥ずかしい。
「でも、大丈夫ですよウチは。夫には前々から水道の水が好きになれないから、こういうサーバーを置きたいってお願いしてたんです・・・私・・・田舎育ちだから都会の水はどうも苦手で・・・だから夫も反対しないと思いますから」
「ほ、本当ですか!?」
健太は喜びのあまり立ち上がった。
立ち上がって、目の前の人妻に深々と頭を下げる・・・つもりだった・・・が、
――ガチャンっ
大きな音をたてて、コーヒーカップがひっくり返った。
「あ、あちっ・・・熱っ!」
ひっくり返った拍子にカップは健太の右脚の上に落ち、バウンドして絨毯の上にゴロリと落ちたのだ。
「だ、大丈夫ですか?」
「あ、あつつつっ。だ、大丈夫です・・・」
「ズボン・・・脱いだ方が良いですよ・・・それから水で・・・こちらへどうぞ」
健太は人妻に手を引かれて浴室へ連れてこられた。
シャワーで水をかけて冷やした方が良いですよ。
「あ、いや、でも・・・」
「早くっ・・・」
「あ、はい・・・」
健太は今日初めて会った女性・・・それも人妻の前にトランクス一枚の姿になると、シャワーを捻って赤くなった右足に水をかけた。
≪
前へ /
次へ ≫
Information