あまり勉強は出来るほうじゃなかったけど、パソコンをいじり倒すのは昔から好きだった。高校生になって親に買ってもらった端末に毎日毎晩向かっては、新しい知識を身につけた。
その甲斐あってか、僕は33歳にして小さなIT関連会社を経営している。
目玉が飛び出るような年収がある訳ではないけれど、同年代からは羨まれる程度の収入はあったし、何よりも好きな事をして生活していける人生は幸せだった。
「はぁ・・・」
それなのに僕は大きな溜息をついた。
周囲は賑やかで、溜息など誰にも聞こえないだろうから、僕も遠慮なく溜息をつく。
今日は高校のクラス会だった。
高校時代は授業が終われば急いで帰りパソコンに向かう日々だったから、友人らしい友人もいなかったし、勿論「彼女」なんてものとは無縁だった。
それなのに何故ここに来ているのかと言うと、33歳になった今も「彼女」には無縁な生活を送っているからだ。
別にクラス会で彼女を見つけようとは思わないが、何となく人恋しい気持ちが僕をクラス会に参加させたのだ。
「失敗したな・・・」
僕は誰に言うでもなく呟いた。周りの同級生達は懐かしい再会と思い出話を楽しんでいるが、僕にはそんな相手もいないしチビチビと酒を呑むしかない。
しかもこの店ときたら、普段僕が仕事関係者と出入りする店とは比較にならないほどに食べ物も酒もマズい・・・。
僕は乾杯の後、30分にして参加した事を後悔し始めていた。
「ん?」
と、何の気なしに向けた視線の先に長い黒髪の女性が入った。細身のその女性は、やはり僕と同じように周囲の喧騒から浮き上がって目立って見えたのだ。
僕と同じように退屈そうに酒を時折口に運ぶ女性・・・ただ、僕と違うのは彼女には時折誰かが話しかけ、それに笑顔で応対しては再び退屈そうな仕草に戻ることだ。
(誰だったかな・・・)
元来、クラスメイトとの付き合いのない僕は、彼女だけでなく周囲の大部分の名前が浮かばずにいた。
(話しかけてみようかな・・・)
何故そう思ったのかは解らない。高校時代に彼女と特別な想い出がある訳でもない。だけど、何かが僕にそう思わせた。
「退屈そうだね」
出来るだけ自然にはなしかける。
元々、他人とのコミニュケーションは得意じゃないけれど、小さいとは言え会社を経営する身だから、そうした能力も年齢と共に少しずつ身につけていた。
「え・・・っと・・・」
明らかに「誰だったっけ?」と困惑した表情を見せる彼女。遠くから見た時には気が付かなかったけど、少し切れ長の眼をした中々の美人だ。
「あ、僕、清田、清田 信一・・・」
「あ、え、ええ、私は豊永・・・豊永 美貴・・・お久しぶり・・・」
自己紹介してくれた目の前の美人は、僕の名を聞いてもピンとこない表情を見せて言った。それでも、それを悟られまいとする所に人の良さを感じる。
「はは、いいよ、気を使わなくてもさ」
「え?」
「想いだせないんだろ?僕のこと」
「あ、その・・・」
「大丈夫、実は僕も豊永さんの事、想い出せないからお相子さ」
「ふ、ふふふ・・・そう、良かった、あ、いけない私・・・」
「どうしたの?」
「泉・・・」
「へ?」
「泉 美貴です。私・・・ボ~っとして旧姓じゃなくて今の苗字を言っちゃった」
(泉・・・泉 美貴?)
途端に高校時代の情景が思い浮かぶ。そしてそれから驚く。
記憶の中の彼女はもう少しふっくらとしていて、いつもコロコロと笑い誰にでも好かれる娘だった。
そう、それこそ僕のような目立たない生徒にも分け隔てなく話しかけてくれる・・・そんな娘だった。
こうして僕と話してくれるあたり、その優しさは変わらないのだろうが、目の前の彼女はどうだ。
まるで高校時代が嘘のようにほっそりとした身体に、美しいのにどこか陰のある表情・・・とても10代の頃の明るい彼女からは想像もつかなかった。
「想いだしたよ、泉さん・・・」
「ホント?ありがとう」
彼女はそう言って笑う。その笑顔を見ても、なかなか昔の彼女と結びつかない。それほどに彼女は陰のある女になっていた。
それでも僕らは、少しずつ酒を呑みながら互いの事を話した。彼女は6年前に結婚して苗字が変わった。子供は男の子が1人。郊外のマンションに住んで、至って普通の生活を送っているように見えた。
そんな話も上の空・・と言うか、時折暗い表情を見せながら話す彼女。やはり記憶にも残っていない僕なんかと話すのは退屈に違いない・・・。
そう思いかけてグラスを手に取ろうとした時だった。
「清田君はお仕事、何しているの?」
「僕?僕は・・・コレ」
僕はポケットから名刺を取り出して彼女に渡した。そこには僕の経営する会社の名前と「取締役」の文字・・・取締役といっても従業員は30人に満たない会社な訳だけど・・・。
「取締役・・・?」
彼女の表情が今までと変わったような気がした。
「すごいわね、取締役なんて」
「そんな事ないよ、ただ好きな事をしているだけだよ」
「好きな事?」
「パソコンのソフトや簡単なゲーム、携帯アプリなんかを作る会社なんだ」
「へぇ、何だか難しい事してるのね」
「そうでもないさ」
会社の話は嫌いだ。
僕は今の仕事が好きだから、仕事の話になると歯止めがきかない。どんどんマニアックな話になっていって、ついには相手を白けさせることもしばしばあったし、最悪の場合はヲタク扱いだ・・・。
「あ、じゃ、そろそろ、あっちの席に戻ろうかな」
僕は自分のグラスを手に取って立ち上がろうとした。
「待って・・・!」
「え?」
「待って・・・」
「あ、うん・・・どうしたの?」
「・・・・・」
無言で僕を見上げる彼女。無言ではあるが、どこか思いつめたような、そんな眼で僕を見る。高校時代の明るい彼女とは変わってしまったけれど、今の彼女は何故だか、こんな思いつめたような悲しいような・・・そんな眼が良く似合ってしまっているような気がする。
「出られないかな」
「出る?」
「うん、2人で・・・どこかに・・・」
「そ、それは、良いけど・・・どうして?」
「ちょっと、相談があるんだ・・・」
「相談?僕に?」
「うん・・・ダメ?」
また切実な眼差しで僕を見る彼女。
僕はそんな彼女を無視する事も出来ず、別々に幹事に支払いを済ませると、彼女と店の外で落ち合った。
※※※
「仕事?」
「・・・うん」
「仕事を探しているの?」
「・・・うん」
さっきまで居た店から少しだけ離れた、小さな喫茶店でコーヒーを間に挟むと、彼女は言い難そうに僕に「仕事を紹介して欲しい」と言った。
「何だかすごい仕事しているみたいだから・・・ごめんね、10年以上も会っていなかったのに急にこんな事頼んで・・・」
「あ、いや、それは構わないけど・・・」
この不景気の時代に彼女の夫は30代の若さでリストラに合った。勿論、努力の末、次の仕事を見つけて再就職したが、その会社も倒産・・・時勢柄、簡単に働き口が見つかる訳もなく、やがて再就職先を探す事もせずに自宅に入り浸るようになってしまったと言う。
「マンションのローンもあるし、それに子供にもこれからお金がかかるし」
彼女は俯き気味に言った。どうやら、あんなに明るかった彼女を陰のある女に変えてしまったのは、これが原因だったようだった。
「でも、僕の経営する会社は・・・」
「えっ!?経営してるの?」
「あれ?言わなかった?」
「取締役って、経営してるって意味なんだ・・・」
「あ、いや、そうじゃないけど、今の会社は僕が起業したんだ」
「会社・・・作っちゃったの?スゴイ!!」
「スゴくないさ、僕は社会に溶け込めなかったんだ、泉・・・豊永さんのご主人のように会社に勤める人の方が余程スゴいよ」
「でも・・・その勤め先も無くなってしまったわ・・・」
再び重苦し空気に沈む。
「僕の・・・経営する会社は少し特殊なんだ」
「特殊?」
「そう、コンピュータとかプログラミングとか・・・そう言う技能がなければ働けない・・・失礼だけどご主人はそう言う会社に勤めた経験・・・あるのかな」
「ずっと営業一筋で・・・どちらかと言うとそういう類には弱い方かもしれない・・・」
「そう・・・」
また重苦しい無言が続く。会社の営業部門はその道のプロに任せていた。僕には営業の才能は皆無だったし、そうする事で今まで上手くやって来たのだ。
「じゃあ、残念だけど・・・」
「私・・・私は?」
仕方なく断ろうとした所に重ねて彼女が言った。身を乗り出すようにして必死に訴える。
「私もコンピュータの事は解らないけど、お茶汲みでも雑用でも何でもやるわ、だから・・・お願い・・・」
「いや、しかし・・・」
そう大きくない会社とは言え、男性社員が圧倒的な所帯だから、そうした女性社員はどうしても必要だ。しかし、その役割をこなしてくれる娘はもう採用済みだし、たかだか30人弱の会社・・・しかも僕の部署は10人程度だと言うのに、そんな女性社員は2人もいらない。
「本当に悪いんだけど、力にはなれないよ・・・すまない」
「会社が無理なら・・・」
「え?」
「会社が無理なら、個人的に私を雇ってくれないかな・・・」
「個人的に?」
「そう・・・」
「悪いけど、それもちょっと・・・取締役といっても秘書を雇えるような立場じゃないんだ」
「そうじゃなくて・・・」
「・・・?」
「愛人でもいいの・・・私なんかじゃ不満かもしれないけど、仕事中でも、勿論プライベートでも・・・都合が合えばいつでも呼び出してくれて良い・・・好きな時に好きな事して良いから・・・だから・・・」
驚きで声も出ない僕。まさか彼女がここまで切羽詰っているとは思わなかった。
「い、いつでもって・・・そんな事・・・」
「あ、でも私、パートもしてるから、その間は呼び出されても行けないんだけど・・・でも、それ以外ならいつでも・・・」
「いや、そう言う事じゃなくて・・・」
「お願い・・・都合の良い女で良いから・・・」
(都合の良い女・・・)
甘美な響きに一瞬理性が飛びそうになる。
しかし、まさか、そんな売春のような事をさせる訳にはいかない。
「解ったよ」
僕は「まいった」というニュアンスで言った。
「本当?良かった・・・私、満足してもらえるように頑張るから」
「いや、そうじゃなくて、解ったと言うのは仕事の紹介の事さ」
「・・・・・」
「豊永さんが、そこまで追い詰められてると思わなかったんだ、明日にでも会社の人事に話してみるよ、満足のいく給料が支払えるか解らないけど、きちんと社員として雇ってもらえるように交渉してみる」
彼女の夫は失業中だ。子供も小さいと言う。おそらく社保の問題もあって正社員と言う立場が欲しいのだろうとも思う。
「ホント・・・に?」
「うん、だけど、あんまり期待しないでね、確実にとは言えないから・・・まだ」
「うん、ありがとう、ありがとう、それでも良いの、本当にありがとう」
彼女は嬉しそうに笑った。その笑顔は今日一番の笑顔に見えて、僕は彼女が「愛人でも良い」と提案してきたのを断った事を少し後悔した。
(勿体ない事しちゃったかな)
苦笑いしながらそんな事を考えていると彼女が言った。
「それで、その・・・あっちの方はどう?」
「あっち?」
「うん・・・だから、愛人にしてくれって話・・・」
「え?何言ってるんだよ、仕事を手に入れたらそんな事しなくても良いだろう?」
「でも・・・」
「それに、さっきも言ったけど人ひとりを囲っておくような財力はないよ、僕には」
少しおどけて行ってみたが、実のところ「愛人」の話がまだ続いていた事に驚いていた。
「お金なんか・・・いらないわ」
「え?」
「そりゃ、正直に言うとお金には困ってるけど・・・でも、それはこれから一生懸命働くから良いの」
「じゃあ・・・」
「無いんだ・・・」
「無い?何が・・・?」
「夫がリストラに合ってから・・・私達・・・夫婦の・・・その・・・解るでしょ?アレ・・・夫婦のアレが・・・ないの」
「あ、アレって・・・アレ?」
「そう・・・アレ・・・」
「失礼だけど、ご夫婦の仲・・・悪いの?」
「そうじゃないんだけど・・・その・・物理的に・・・アレが・・・」
「アレ?」
アレだの、コレだのと歳のくった高齢者じゃあるまいに、そろそろまどろっこしくなってきた。
「だから・・・リストラに合ってから・・・おチンチンが立たないの・・・ウチの夫」
豊永 美貴は、僕の頬すれすれまで唇を寄せると、やっと聞き取れるくらいの小声で言った。フワリと僕の鼻腔を彼女の髪から香るシャンプーの香りがくすぐる。
「そ、そう・・・それは・・・ご主人も大変だね・・・」
「主人だけじゃないよ」
「・・・・・?」
「私だって・・・我慢できない・・・」
「そっか、豊永さんも・・・大変だね」
「試して・・・」
「え?」
「お金なんていらない、清田君が嫌だったら、コレ一度きりで良い・・・だから、今夜・・・私の身体を試して・・・」
「で、でも・・・そんな・・・」
「お願い・・・したいの・・・」
躊躇う僕の耳元で、あのシャンプーの香りを漂わせながら小声で囁く豊永 美貴の誘惑に、僕は情けないくらいに簡単に陥落した。
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