前回と同じように、僕は自室の扉を少し開けて、そこに耳を突っ込むようにして座った。
こうして階下の物音や2人の会話を聞き漏らすまいとするのだ。
「奥さん、いつもありがとうね」
猫なで声の野本さんの声。
「孝介が・・・しろって言うからするんですよ、野本さんのせいじゃないです」
「それでも、俺だって気持ち良い思いさせてもらってるしさ、ありがたいと思ってるんだよ、いつも」
「そうですか・・・」
「うん」
会話の間にもゴソゴソと言う音が聞こえる。おそらく野本さんがズボンや下着を脱ぎながら話しているのだろう。最初の頃の事を思うと、会話しながらズボンを脱ぐなんて風俗みたいなこと、まずあり得なかったのだから、この2人の関係も停滞している訳ではないと思う。
「野本さん・・・」
「ん?」
「早く彼女作ってくださいね」
「あ、うん・・・欲しいとは思うんだけどさ、なかなか・・・ね」
野本さんに彼女が出来るまで、自分はこうして口を使って彼の欲望を鎮めなければならない・・・そう悟ったのか、妻は静かに言った。
「俺に彼女出来ないと、奥さん、度々こういう目に合うもんね」
「なんか、さっきの孝介の感じだと、この先も野本さんに彼女できなかったら、しなきゃいけないみたいだし・・・」
「奥さん・・・イヤだったら、俺から孝介に言ってやろうか?」
野本さんが一段声を静かに落として言った。扉が開いていなければ絶対に聞こえない小声だ。
(なんていう事を言うんだ、裏切者!!)
「え・・・なんて?」
「奥さんが本当にイヤそうだから、もう止めようって」
「・・・・・」
「俺が喜んで奥さんにしてもらうからこうなる訳でしょ?だから・・・」
「止めてくれるかな・・・」
妻がポツリと言った。。
「え?」
「野本さんが止めろって言ってもダメな気がするんです・・・」
「どうして?」
「私、ちょっと考えたんですけど、孝介は私が他人とHなコトをしてるのを見てヤキモチを妬きたいんだと思うんです」
(ん~、ちょっと表現はどうかと思うけど、おおむねそんな感じか)
「そうかもね」
野本さんが同意する。
「だから、私も、例えば私の友達と孝介がHしたらどんなかなぁって考えてみたんですけど、すごくすごく苦しいんです」
ウチの妻は自他ともに認めるヤキモチ妬きだ。前にも言った事があるかもしれないが、親戚の集まりで、僕が酔っぱらってイトコに「あ~ん」と食事を食べさせてもらっただけで、帰宅した後、頬を膨らませて妬いた。
最近では、職場の同僚数人と飲みにいった時に、女性の同僚とタクシーに乗って帰ってきた事があって、僕が先にタクシーを降り、彼女はそのまま自宅へ戻った。タクシー代もバカにならないから、節約のために相乗りと言うやつだ。よくある事だと思う。
僕を降ろして走り去るタクシーへ、何の気なしに手を振った。同僚の女性へ「また明日ね」と言う軽い挨拶のつもりだったし、タクシーに乗っていた同僚も同じ気持ちで僕に手を振り返してくれた。
僕の帰りを待っていた妻は、扉の鍵を開けてあげようと玄関先へ出てきて、窓からその光景を見ていたらしい。
「チラッと見たけど、すごく可愛い娘だった」
家へ入るなり、やっぱり頬をプクッと膨らませて彼女はそう言った。
「へ?」
今帰宅して玄関を入ったばっかりで、状況が飲み込めない僕に彼女は続ける。
「私が出かける時、手なんて振ってくれないもん」
言っておくが、結婚して10年以上経っている。新婚じゃあるまいし、買い物へ行く妻を見送って手を振るか?普通?
とまぁ、こんな具合に油断すると何でも「浮気」にされかねない環境で僕は暮らしているのだ。
その彼女が、自分の友人と僕がHする姿を想像したと言う。そりゃあ、想像を絶する嫉妬の苦しみに襲われただろう。
「安心して良いよ、あいつ、浮気なんてしないと思うから」
野本さんが言った。
「それは私もそう思うんです、孝介のことは信用してます」
「じゃあ、なんでそんな事・・・」
「ただ、孝介がどんな気持ちで私に、野本さんとエッチなことしろって言うのかなぁって考えてみようと思って・・・」
どうやら、僕の気持ちを少しでも理解しようと言う過程で、そんな妄想に耽るハメになったらしい妻。
「で、何か解った?」
階下では衣服を脱ぎ終わったらしく、ゴソゴソと言う音は聞こえなくなって、2人の会話だけが聞こえてくる。
もしも野本さんがトランクスも脱いでいるとする、下半身丸出しで、こんなシリアスな会話をしている事になる。それを想像すると少し可笑しいけど、妻が今、どんな気持ちで彼の足元に座っているのか・・・それにも興味があったから、僕は階下の話声に耳を澄ませた。
「何にも・・・どうして違う人とエッチなことさせたいのかなんて全く解りませんよ」
「だろうね」
「でも・・・解った事もあるんです」
「なに?」
「私、私の友達や後輩、色々な人と孝介がエッチするって想像してみたんですよ」
「なんでまた、そんなこと・・・」
「そうしたら、どの友達とエッチしてる孝介を想像しても同じように苦しかったんです」
「そりゃ、そうでしょ」
妻が何を言いたいのか解らないけど、なんだか難しい話になってきたなと思う。
「きっと孝介も同じだと思うんです」
「同じって?」
「孝介、私と野本さんがエッチなことしてるのを見て興奮するじゃないですか」
「うん」
「きっと、野本さんじゃない人と私がエッチな事しても同じように興奮するんじゃないかと思うんですよ」
なるほど、そう言う事か。ウチの妻は鈍感で天然だ。しかし時折、こうして鋭く真意を突く事がある。
実際問題として、生活への影響や綾乃の安全面を考えると、野本さん以外に適役は居ないのだが、そうした事を抜きにして考えると、綾乃を汚す相手は野本さんでなくとも、僕は興奮するだろう。
「それは・・・」
野本さんも、妻の話に納得してしまったのだろう。ここまで終始一貫して僕のフォローに回っていたのだが、何も言えなくなってしまったようだった。
「私、孝介のお友達には何人か会った事あるけど、こんな風に話せるの野本さんだけなんです」
妻は割と人見知りな方だ。確かに野本さん以外の僕の友人と親しげに会話しているところは一度も見た事がない。
「そうなんだ、なんか嬉しいな」
「だから、野本さん以外の人に同じことしてって言われたら・・・私、困る・・・」
「奥さん・・・」
僕は2人の会話に引き込まれていて、気が付くと自室の扉は半分ほどまで開いていた。
その扉を慌てて少し閉じる。閉じながら、胸に何かグッと込み上げる感情。
「奥さん、今日は止めようか?」
野本さんが言った。雰囲気が卑猥な感じじゃなくなったし、野本さんとしてもそう言わざるを得なかったのだろう。
「あ、ごめんなさい、大丈夫です、ちゃんと出来ますから・・・」
それに対して気丈にそう返答する妻。
――ピッ
そのセリフを合図にしたように、ビデオカメラの録画ボタンが押される電子音が聞こえた。それは、妻が野本さんのモノに舌を這わせ始めた合図でもあった。
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