淳史は梓を許した。
ほんの出来心で借りたお金が瞬く間に大きな金額に膨れ上がって、もはや身体を使って返済するしかなかったと言う梓の説明にすべて納得できた訳ではなかった。
その前にどうして自分に相談してくれなかったのか。
どうして、思い切ってお金を工面してくれと言えなかったのか。
その思いは残ったが、淳史は梓を許した。
それはあの日、身体を張って親友である梓を思いやった美香への気持ちからだった。
淳史と梓はそれぞれの退職金を前借りして、それでも不足した分を彼女の両親にお願いして立て替えてもらった。
彼女の両親も500万円を出せと言えば色々と詮索しただろうが、不足分はほんの数十万円で、使途についてはそんなに深く詮索されなかったから、梓が風俗店で働いた事は親にも知られずに済んだ。
こうして梓の生活は借金前と同じに戻った。
ただ一点を除いては…。
梓と淳史が会う時に、美香が同席する事が増えた。
美香は勿論、大切な友人だし、3人で会う事も以前からそう珍しい事ではなかったが、頻度が著しく増えたのだ。
それに、美香と淳史の仲が…なんと言うか一気に縮まったように見える。
梓が風俗店から出てくるのを淳史に見られた日…あの日も淳史と美香は一緒にいたようだ。
だが、淳史に隠し事をしていた梓は、何となく淳史に負い目を感じていて、嫉妬にも似たこの気持ちを直接伝える事が出来ずにいた。
「・・・てる?…梓…聞いてる?」
「あ、ごめん…ボ~ッとしてた」
今日も梓は、淳史、美香の3人で食事に来ていた。
その席でボンヤリと考え込んでしまっていたのだ。
「だからさ…この後、美香ちゃんの部屋で呑まないかって…たまには宅呑みも良いんじゃない?」
「あ、ああ…うん…いいよ…」
どうやら、梓がボンヤリとしている間に、美香の部屋で3人でお酒を呑もうと言う話になったようだった。
別に構わないが、こんな事は初めてだ。
遠慮なく美香の部屋に行こうとする淳史にも違和感があったし、いくら自分も一緒とは言え、淳史を招くことに何の躊躇いもない美香にも若干の違和感がある。
それでも、断る理由はなにも無い。
3人は店を出て、美香の部屋へ向かった…。
※※※
「カンパーイっ…」
お酒だのおつまみだのを買って3人は美香の部屋に居た。
(やっぱり…おかしい…かも…)
楽しげにお酒を呑む淳史と美香の姿を見ながら梓は考えていた。
確証がある訳ではない…だが、初めてここに来たはずの淳史は、入ってすぐに美香の部屋のトイレへ場所も訊ねずに飛び込んだし、躊躇いなく買ってきたお酒を冷蔵庫まで真っ直ぐに持っていった。
しかし、それだけならマンションなんて似たような造りの所が多いし、あり得る話かもしれない。
決定的なのは、乾杯の前の2人の会話…。
「美香ちゃん、そこにパジャマ脱ぎ捨ててあるよ~」
「あっ…ホントだ。仕方ないじゃない…今日来ると思ってなかったんだから」
そう言うと美香は、何の変哲もないジャージを拾い上げ、寝室の戸を開けて中に放り込んだ。
何の変哲もないジャージ…近所のコンビニくらいなら着て行っても別におかしくないような物だ…美香が寝室に放り込んだ所を見ると、あれをパジャマ代わりに着て寝ているのだろう。
問題は、その普通のジャージを見て、なぜ淳史の口から「パジャマが脱ぎ捨ててある」という言葉が出たのか?…なぜ美香があれをパジャマ代わりに使っている事を淳史が知っていたのか?…もしかしたら、パジャマではなく単なる部屋着かもしれないのに…。
それは、淳史があれを着てベッドに入る美香を見た事があるか、それとも美香が眠っているような時間にココへ着た事があるか…いずれかしか考えられない。
「あの…」
梓は我慢できなくなって、そのことを淳史に尋ねてみようと思って口を開いた。
「話しておきたいことがあるんだ…」
だが、一瞬早く、淳史から話があると切り出された。
「なに…?…」
梓は身体を硬くして淳史の方を見た。
これから淳史が話す内容について思い当たる節がある。
それは自分にとって、親友と彼氏を一度に失う最悪のシナリオだ…。
「俺…美香ちゃんの部屋に来るの初めてじゃないんだ…」
(やっぱり…ね…)
そう思いながらチラリと美香の方を見る。
申し訳なさそうな顔をして俯いている彼女の姿…。
「初めて来たのは…梓があのビルから出てきたのを見た…あの日なんだ…」
淳史は、あの日の帰りに美香の部屋に寄ったと言った。
そして、私が想像しているような事もあったと言う…。
でもそれは、私と淳史を何とかしようと言う美香の思いやりで、彼女には何の罪もないと淳史は力説した。
(もう…いい…解ったから…)
そこまで聞けば、話の結論も自ずと見えてくる。
もう聞きたくない…そう思っても言葉が出ない梓。
「美香ちゃんには…すごく救われたんだ…俺」
身体の関係がどうこうと言うよりも、美香に精神的に救われたと言う淳史。
「美香は…素敵な娘だよ…大切に…してあげてね…淳史」
梓は、何とかその一言だけ絞り出すとバッグを持って、立ち上がろうとした。
「待てよ…最後まで聞けよ…」
その手を掴んで淳史が強引に梓を座らせる。
「聞きたく…ないよ…聞きたくないよっ!彼氏が友達のこと好きになっちゃうなんて!そんなドラマみたいな話…聞きたくないよっ!」
梓は淳史の手を振りほどいて立ち上がろうとする。
泣くまいと思っていたのに、右目だけ我慢できずに|一滴《ひとしずく》の涙を落としてしまった。
「待って…梓…お願い…最後まで聞いて…お願い…近藤君は梓と別れるつもりなんてないんだから…」
(え…?…)
梓はかなり早い段階から「淳史が美香に惚れてしまった。だから自分とは別れてくれ」と言うシナリオを思い描いていた。
だが、美香はそのシナリオは違うと言う。
ソロソロとバッグを持ったままゆっくり座る美香。
「良かったよ…座ってくれて…」
淳史がニッコリ笑って梓に行った。
いつも梓に向ける、梓の大好きな淳史の笑顔だ。
「俺は梓の事を愛してる…」
淳史が突然そう言った。
梓の目から、我慢していた涙が一気に溢れ出る。
「だから、お金のことも風俗のことも全部俺に話してくれた梓に隠し事は出来ないと思ったんだ…だけど、俺が美香ちゃんと関係を持ったことを話せば彼女と梓の仲が心配だし…それで今日まで話せなかったんだ」
それは梓にも解る。いくら女同士の友情があっても、男性がキッカケで友達でいられなくなった女性も何人か知っている。淳史の心配は当然だろう。
「それは私も同じだったの…」
美香が話出した。
「あの時は、近藤君にも秘密を作らせればお相子になって…それで2人が上手くいくかなって…そう思ってたんだけど…考えてみると、同時に私も梓に隠し事をしなきゃならなくなったんだ…って…後になって気が付いた…」
今度は淳史が言う。
「だから美香ちゃんと相談して決めたんだ。正直に梓に言おうって…でも、これで俺には何も隠し事はないよ…」
「でも、私にはまだ梓に言ってない事が一つだけあるの…でも、これを言ったら梓とも近藤君とも友達でいられなくなるかもしれない…」
美香が梓を真っ直ぐに見て言った。
チラリと淳史を見てみる。
どうやら彼は、この後、美香が何を言おうとしているのか察しがついているようだ。
「私は、近藤君が好き…ずっと前…梓と近藤君が付き合う前から…ずっと…」
梓は驚きの表情で美香を見た。
淳史が美香に惚れてしまった…と言うシナリオはさっきまで思い描いていたが、その逆は全く考えていなかったのだ。
「でも、梓のことも好き…だから、近藤君のことは諦めようって…そう決めてたの…だけど…」
美香は、そう思ってずっと過ごしてきたのに、あの日の一夜の過ちが頭から離れないと言った。それは単にイヤらしい気持ちではなく、あの日、ずっと好きだった男性に抱かれた幸福感…それが忘れられないと言う…。
それに淳史は、あの日、美香に慰められた事に報いたいと言った。
もし自分のような人間を好きでいてくれたのなら、なおさら、その気持ちを無視できないと…そう言った。
「だから、踏ん切りをつける為に、俺はもう一度だけ美香ちゃんと寝ようと思う…本当に最後…これっきりで友達に戻るために…」
「え?…」
梓は目を丸くして淳史を見た。
2人から次々に飛び出す梓の想像もしない言葉。
「けど、それを梓に内緒でしちゃったら、また、ただの浮気になっちゃうだろ…だから、美香ちゃんと相談したんだ」
「な、何を?…」
「梓も一緒に…3人で寝れば良いんじゃないかって…」
梓は固まった。
ようやく結論が見えた。
梓の知らないところで美香と淳史がSEXをすれば、それは単なる浮気に過ぎない。
でも、彼女である梓の了承の下で、梓と一緒にする行為なら…それなら良いのではないか…そう言う事だ。
「でも…」
梓はその一言だけ絞り出したが、それ以上何を言ったら良いのか解らない。
そもそも、この状況の遠因は自分にある。
そう思うと何も言えない気もしていた。
「梓が嫌だったら良いの…私、このまま近藤君のことは諦める…梓とはずっと友達でいたいから…」
梓は答えに窮していた。
親友の美香が梓の彼氏である淳史に惚れていた…それも梓が付き合いだすよりも前からだと言う。
それなのに、一番近くで自分を応援してくれた美香。
それに風俗の一件で2人が危機に陥った時も、仲を切り裂く所か上手くいくように願っていた。
このままだと、淳史と美香が自分の眼前で卑猥な行為に及ぶ姿を眼にする事になるだろう。
だが、自分も数えきれない男達とお金の為に同じことをしてきた。
嫉妬がないと言えば嘘になるが、一度くらい…美香が望むのなら叶えても良いかもしれない…。
「もし…もし…それで美香の気が済むのなら…私は帰るから…2人で…1度だけなら…いいよ…」
梓は美香に向かってそう言った。
「ダメだよ…それじゃ…浮気だろ…」
「私が良いよって言ってるんだから…浮気じゃないよ…」
梓はそう反論した。
「2人では出来ない…このまま梓が帰ってしまったら、きっと俺たち3人は明日からギクシャクするに決まってる…でも包み隠さず…3人なら、きっと明日からも上手くやっていける」
淳史はそう言った。
ギクシャクする…と言うのは当たっているような気がする。
せっかくお金の工面もついて、元通りになったのにそれは嫌だ。
それに淳史はお金の面でも迷わず梓に協力してくれた。
冗談で出せるような額のお金ではない。
それを思うと、淳史がただ単に女性2人を相手にして楽しみたいだけだとも思えない…多少はそれもあるのだろうが…。
「どう…したら…良いの…?」
梓は、そう返答するしかなかった。
「そうだな…俺は、ここで待ってるから、2人でシャワーでもしておいでよ…」
淳史はそう言った。
美香とは一緒に温泉へ行ったことがある。
しかし、それは広い浴場での話で、普通のマンションの浴室のような狭い所で身体を密着させるような事は勿論初めてだ。
「梓…行こっ…」
だが、美香は躊躇うことなく、梓を誘った。
こんな手順もすでに淳史と2人で示し合わせてあったのだろうか…。
「うん…」
梓は、美香の後について彼女の部屋の浴室へ向かった…。
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