(なんてバカな事をしてしまったんだろう・・・)
何度も何度もそう思ったけれど、今更どうする事も出来ない。何しろあれは、もう8年も前の出来事なのだから。
私は今、自宅から二駅ほど離れたカフェに1人で座っている。
だけど、いつまでも1人と言う訳ではない。もう少ししたら、ここにあの忌々しい男がやってくる事になっているのだ。
男の名前は渋沢 仁(しぶさわひとし)
年齢は28歳の私よりも一回りほど上の40代だったと思う。思う・・・と言うのは定かではないからだ。
そもそも、こんな名前はとっくに忘れていた。思い出す事もないはずだったのだが、私は数週間前、強制的にこの名を思い出す事になってしまった。
私は23歳の時に結婚した。
子供は居ないけれど、優しい夫と2人で幸せに暮らしていた。世間は不況の嵐だが、夫の会社にはやり手の社員がいて、この不況下でも売り上げをどんどん伸ばしているのだと言う。
夫はこの春の人事異動で、その社員の直属の部下になった。
「あの人の下で働けば、会社での立場も安泰だ、いやぁ、俺はツイてるよ」
屈託ない笑顔で私にそう言う夫。
だから、夫がその上司を自宅に連れて来ると言った時、私は精一杯のもてなしをしようと頑張るつもりだった。だったのだが・・・。
「やぁ、待ったかい?」
伏し目がちにしていた私の前で突然声がした。反射的に顔をあげると、そこにはあの男・・・渋沢が立っている。小奇麗なスーツを着こなす姿はとても40代には見えない。
「喉が渇いたな、何を飲もうかな」
当たり前のように私と同じテーブルに座る渋沢。その渋沢に向かって、私は小声で言った。
「あの、どういうつもりですか?こんな所に呼び出して・・・」
「呼び出してって・・・別に、食事でもどう?って誘っただけじゃないか」
「でも、私、もう結婚してるんです、だから・・・」
「別に無理やり誘ったつもりはないんだけどな・・・僕は」
「僕は」の一言が一段低い声で囁かれる。そのトーンはどう考えても脅迫にしか受け取れないけれど、この男の狡猾なところは決定的に脅迫と取れるような事を絶対に口にしない事だ。
「僕はただ、奥さんと食事がしたいなぁと思っただけなんだけどね、あの時みたいにさ」
渋沢がそう言ってニヤリと笑った。
(あの時・・・)
私はまだ20歳になったばかりで、ようやく少しのアルコールを飲む事が出来るようになったばかりだった。堂々と飲酒できる身分が嬉しくて、友達と騒いで呑んで・・・ただそれだけのはずだったのに・・・。
「おまえは酒が弱いんだから気を付けるんだぞ」
私が人付き合いでお酒の席に出かける時に、夫は必ず私をそう言って送り出してくれる。だけど、あの日・・・渋沢にナンパされた時・・・まだ私は夫と出会っていなかったから、誰もそんな注意はしてくれなかった。
「あ、すいません、アイスコーヒーお願いします」
渋沢が通りかかった店員に言った。正直言って、私はこの男と2人でコーヒーなんか飲む気分じゃないのに。
渋沢にナンパされた20歳の時、あの時、私は酔っていて気持ちが大きくなっていた。それに、20歳という大人のラインを越えて、少し背伸びして見たかった。
そこに声をかけてきた30代半ばと思しき渋沢とその友人・・・。今日の渋沢がそうであるように、あの日の彼らもスーツをキチンと着こなした大人の男だった。清潔で・・・自信に溢れていて・・・とても大人に見えたのだ。
いくら言い訳を並べてみても事実を変える事は出来ないけれど、とにかく私はそのまま彼に抱かれた。一回りも年上の渋沢はセックスも上手くて、今まで同年代の男性数人としか経験のなかった私には驚きの連続だった。
認めたくないけれど、彼とのセックスは「良かった」のだ。
「相変わらずお酒は弱いのかい?」
渋沢がコーヒーを一口飲んでから言った。
(まただ・・・)
この男は、こうして言葉の端々に「あの日」の事を匂わせる。夫が自分の上司だと言って連れてきた男・・・それが渋沢だった。
最初、私はそれが「あの日」の彼だとは気が付かなかったけれど、渋沢は違った。その日から彼は仕事中の夫が不在の時間をめがけて自宅に電話してくるようになったのだ。
「さてと、それじゃあ、そろそろ行こうか」
コーヒーを飲み終えた渋沢が伝票を手に立ち上がった。
「あ、あの、私、自分の分は自分で払いますから」
「別にいいよ、そんなの、こう見えてもそれなりに稼いでるんだぜ?俺」
「でも」
「旦那に聞いてないかい?俺、会社の上層部の信頼も厚いんだよ、大抵の我儘が通っちゃうくらい・・・ね」
背筋にゾクッと寒気が走る。
私の大切な夫は、この「大抵の我儘が通る男」の部下だ。それに、私には彼に知られたくない過去があって、それを渋沢は知っている。
(夫に正直に言おうか)
一時はそう思った。
(ダメ・・・言えない・・・)
でもすぐにそう思い直す。
5つ年上の夫は私の事を子供のように大切に扱ってくれる。夫婦だからセックスだってするけれど、それも至って優しい営みだ。
それほど私を大切にしてくれる夫・・・その夫になんと言えば良いのか?
「あなたの上司と私は8年前にセックスしました。すごく大人のセックスだったので私は恥ずかしいくらい乱れました」そんな事言える訳ない。
おまけに夫は、渋沢の事を尊敬しているようだ。そんな尊敬する男が自分の大切な妻を一晩限りのおもちゃにした事があるなんて・・・そんな事を知ったら夫はどう思うか。
さらに渋沢のこの言動・・・はっきりと脅迫めいた事は一度も言わないが、言葉の端々から「断ったら旦那に話す」「旦那の会社での立場は俺次第だ」そんな雰囲気が伝わってくる。
「さぁ、行こうか」
「・・・え?」
渋沢が私を促して歩き出す。
「あの、どこへ・・・」
「あぁ、すぐそこだよ、ほら見えるだろ?あのホテル・・・あそこに部屋をとってあるんだ」
(・・・っ!)
私も子供じゃない。渋沢が何を望んでいて、このまま彼の言うなりにしていたら、自分が渋沢に何をされるのか・・・ある程度は予想していた。
だけど、こうもあっさりと当然のように、それが現実のものになるとやはり動揺する。私は子供ではないけれど、そこまで大人でもないらしい。
「別に驚く事じゃないだろう?腹が減ったらルームサービスだってあるしさ、あの時に2人で入ったラブホテルとは違うんだから」
また「あの日」を仄めかす渋沢。
私は逆らう事もできないまま、彼の後をついて歩くしかなかった。
※※※
「はっきりさせておきたいんだけどね」
「・・・・・」
「僕は奥さんを無理やりホテルに連れてきた訳じゃない、そうだろ?」
「・・・・・」
「僕は誘っただけだ、誘いに乗ってきたのは奥さん・・・違うかい?」
「そんな・・・だって、断ったら・・・」
「断ったら?断ったらなに?断ったら何かするって一言でも僕が言ったかい?」
「それは・・・」
「言ってないだろう?」
「・・・・・」
卑怯者っ・・・普段他人に怒りを露わにすることなんてないけど、私は心の底からそう思った。どうやらその気持ちは渋沢にも伝わってしまったようだ。
「解ったよ・・・帰ろう」
「え?」
「もう良いから帰ろうと言ってるんだよ」
渋沢はテーブルに置いてあったルームキーを手に取ると腰を浮かせた。
「でも、あの、昔の事を主人に・・・あの人に話したり・・・しないですか?」
「そんな事は約束できないよ、キミのご主人は僕の部下になった訳だし、一緒に酒を呑む事もあるだろうし、何かの拍子に口を滑らせるかもしれない、まぁ、そんな事にならないように努力はするけどね」
「そんな・・・」
「だいたいね、もしかしたらキミのご主人の会社での立場が悪くなったりするかもしれない。だけど、それは奥さんが今日、僕との関係を断った事とは全く無関係だよ、もしご主人がどうにかなったとしても、それはご主人自身の能力のせいさ」
「・・・・・」
(あからさまな脅迫だ・・・)
そうは思っても彼は「あの日」の事を話さないように努力すると言うし、主人の会社での立場は今日の事とは関係ないと言う。脅迫されたと証明する手段も私にはない。
(確実なのは・・・)
「一度だけ・・・一度だけにしてもらえますか?」
「何を?」
惚けた表情でそう言う渋沢。
「だ、だから一度だけ、私を自由にして構いませんから・・・だから・・・」
「イヤだね」
「え?」
「それじゃあ、明らかな脅迫じゃないか、一度だけ抱いても良いから夫の事をよろしく頼むと言うんだろう?あの事を話さないでくれと言うんだろう?」
「は、はい」
「それじゃあ、明らかな脅迫行為だと思わないかい?」
それは仕方がないだろう。私は今脅迫されているとしか思えないのだから。
「あ、あの・・じゃあ、どうすれば・・・」
「別にどうも・・・このまま帰ろうと言っているんだよ」
「でも、それじゃあ・・・」
話が堂々巡りになりかけた時、渋沢が一言言った。
「まぁ、奥さんの方から、どうしても僕にして欲しいと言うのなら話は別だけどね」
ニヤリと笑う渋沢。
「どうなんだい?」
「・・・・・」
「僕はこのまま帰っても良いんだけど」
「ま、待って・・・待ってください・・・」
「ん?」
「・・・てください」
「なんだって?」
「抱いて・・・ください」
「ふ、ふふふふ、はははははっ、解ったよ、抱いてあげよう」
「そのかわり、あの話を主人には・・・」
「だから、脅迫してる訳じゃないと言っているだろう?」
「で、でもそれじゃあ」
「しかし、僕としても今日奥さんを抱けば、奥さんが悲しむような事はしたくなると思うよ」
「わ、解り・・・ました」
「じゃあ、まず、人妻になってどのくらい成長したのか見せてもらおうかな」
「成長・・・って」
「今だから言うけどね、8年前の奥さんのフェラチオは下手くそだったよ、勿論そんな事は言わなかったけどね、だけど奥さんも今や人妻だ、少しは上達しただろう?」
渋沢はそう言いながら、当然のようにズボンのベルトを外した。そのまま躊躇いもせずに下着も下ろして、ベッドの脇に仁王立ちしている。
「あ、あの、せめてシャワーを」
「ん?8年前はシャワーなんてしていないのに、僕のモノをおいしそうに舐め廻していたじゃないか、このままで良いだろう?」
8年前の事をそんなに詳細に覚えている訳ではない。だけど、渋沢に一言二言と「あの日」の事を言われると、少しずつ記憶が甦ってくる。
確かに私は8年前の「あの日」シャワーも浴びていない彼のモノの前に跪いて、目の前の屹立した男根を口にした。あの時は彼の事を「素敵な人」だと思っていたし、別にそうしても良いと思えたのだ。
でも今は違う。
目の前のこの男は、当時の事をネタに私の身体を弄ぼうとするただの男・・・。
そうは思っても、私に「逆らう」という選択肢はない。
彼の足元に跪くと、目の前であの時のように屹立している男根に右手を沿えた。
「舐めるんだ」
「・・・はっ・・んぅ・・・」
少し汗臭い匂いがした。だけどそれ以上に立ち上る男臭い匂い。それでも私は彼のモノの先端から根本まで丁寧にペロペロと舌を這わせた。
「んっ・・・・レロッ・・・んふぅ・・はぁ」
「上手くなったじゃないか・・・もっと裏筋のほうも・・・あぁ、そうだ」
夫以外の男の前に跪き、言われるままに男根を舐める。私達夫婦のためとは言え、こんな屈辱的な行為は生まれて初めてだ。
「ペロペロはもういいよ、さぁ、咥えて・・・もっと激しくしてごらん」
――チュッ・・・クプっ、クプっ
ゆっくりと亀頭部から竿・・・根本の方まで咥えていく。
「あぁ・・・そうだ、もっと深く・・・もっと、もっと・・・」
「んっ・・・ぐぅ・・・えっ」
「おっと、深く突っ込みすぎたか、悪いね」
「んぅ・・・んっ・・・うぅ」
時々、深く咥え込み過ぎて咽頭反射を起こしながらも、ゆっくりと前に後ろにと頭を動かす私。その度に口内に熱い棒が出たり入ったり、いやらしい粘着音も聞こえる。
「んっ・・・んっぅ」
「奥さん、裸になってベッドに上がって」
「んっ・・・ふぅ、あ、でもシャワーを・・・」
「大丈夫だよ、あの日もシャワーする前にセックスしたじゃないか、奥さんの濃厚な女の匂いと味・・・忘れてないよ、今更シャワーなんてする必要はないさ」
「・・・・・」
自分でも解るくらい顔が紅潮して熱くなる。思い出した、確かあの日はシャワー前に渋沢のモノを咥えただけでなく、そのままの勢いで部屋に入るなり1回戦交えてしまったのだ。
その後、2人でシャワーを浴びて浴室でも1回、ベッドに戻ってからも何度か・・・もう明るくなる頃まで何回彼の腕の中で果てたのか解らないくらいに身体を絡めた。
思えば「足腰が立たなくなるほどの快感」と言うのを感じたのは、後にも先にもこの渋沢とのセックスだけかもしれない。
私は諦めて、渋沢の目の前で服を脱ぎ始めた。
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